学生演劇『あゆみ』

近所で大学生の演劇を観る機会があったので。

 

柴幸男の作品を初めてみたため、ままごとの演出との差異や学生たちのオリジナリティは知る由もないが、何人もの女優が演じることで女性の一生という『想像界』に類するイメージの表現を目標としている作品なのかな、という印象を持った。

生まれ、歩いて、恋をして、結婚をして、別れて、生きて、老いるというあみちゃんの人生には劇的な何かがあったわけではない。「あゆみ」は終始小さな物語をテーマにしているのに、観客を飽きさせない。その理由は、やはりたくさんの役者が一つの役を演じるという表現方法にあると思う。小さくてありきたりなストーリーを演じるのも、複数の役者がひとつの役を演じるのも、従来の芝居からすれば逆転現象を起こしている。その真新しさに導入部から観客は惹きつけられるが、次第に目の慣れた観客は役者たちが演じる一人の女性を見ながら、運命論的な不自由さや、自分に重ねられるエピソードについて共感を見出していくのである。

あみちゃんの一生の内から観客ひとりひとりが「そうだったそうだった」或いは「そうではなかったがそういう過去/未来もあった/あるかもしれない」と思うシーンをピックアップすることで、舞台終盤のあみちゃんの「やり直し」を印象的なシーンに仕上げるのだ。観客たちは奇特な序盤に慣れ、共感を強制された中盤を経てあみちゃんとの一体を感じ、終盤自らが経験したことのない「やり直し」を目の当りにして「観客」として客席に戻ってくるのである。そこにはSFも殺陣も伏線もない、空虚で乾いた現実があるばかりである。

しかし観劇を終えた観客は立ち上がり、人生とは歩みの積み重ねなのだというメッセージにただただ共鳴しながら帰っていくのだ。

 

芝居の目的は観客にメッセ―ジを伝えることだと私は考えている。「人生」という想像界のワードを明瞭かつ観客が確実にメッセージをくみ取るような演出で作った「あゆみ」という台本は現代的なテーマ、斬新な演出でありながらも、嫌みやくさみがなく、古い世代にも受けるエンターテイメントとしてあるのではないだろうか。